言葉ってめんどくせぇな〜
菌を愛で、味噌を愛している望です。こんにちは。
言葉とか会話とか面倒くさいって思うことがあります。
「言葉にしないと分からない。」
「言語化してくれ」
って、何度伝えたか。
「察してよ!」
ってことを言われたとき、
無理だから!まじで!
って人に思うくせに、
自分は相手に察して欲しいという
面倒くさい生き物が私です。こんにちは。
テレパシーがあったらどんなに楽か。
昔はあったんだって、テレパシー。
そしたら、無駄な思い違いもないし
あの人が凹んでいるときどうして欲しいのか一発で分かるし
無駄な駆け引きもしないで済む。
好きとか、愛してるとか、大切に思ってるんだよ
ということさえ、テレパシーで分かったら
どんなに楽で、平和で、生きやすいか。
なんで、人間はテレパシーを無くして
言葉というものを作ってしまったんだろう。
しかも、世界中言葉が違うという
ややこしいこともしてくれちゃって。
特に日本の面倒くさいところって
「大丈夫」って言葉が
①問題無い。順調なのか
②限界だけど弱みを見せられない
という2つの相反する意味も持っているし
それを察するのも、気を遣うし。
目次
言葉は毒針がある凶器で厄介
しかも、言葉って凶器にもなる。
それは、会話やSNS全てにおいて。
私は小さい頃に
親に言われて傷ついたこととか
アトピーや体型のことで人から言われた何気ない一言を
ず〜っと覚えているし
あるとき、その言葉を思い出して
またその言葉に傷つくを繰り返していたりもします。
人に対して暗示をかけることもできます。
「あなたは何をやってもダメ」
「やっぱり、私はだめなんだ。」
とかね。
それだけ、言葉って怖い物だと思います。
言った本人は忘れているのに
言われた人は一生覚えていることもあるし
言葉という凶器に毒が塗ってある場合は
ず〜〜〜っとその毒が全身を巡る感じ。
もう、そうなると
世界中に自分の居場所が内容に感じて
世界中に敵しかいない感じがして
動けなくなるし、何も考えられなくなってしまう。
言葉って怖い。
面倒くさいけど言葉を使うしかない
自分が思ったことを相手に伝えたとき
100%その通りに伝えきる方が奇跡だと思う。
だからこそ、大切なことは
普段の言葉遣いだと思う。
(あの人って、普段何考えているか分からない)
と思われることの何が厄介かというと
普段何を考えているか分からない人の
発する言葉に対して
それってどういう意味なんだろうっていちいち考えるので
会話することに気力を使う。
それは、自分も相手も疲れちゃうから
どうしたらいいかって
普段から、言葉を伝える練習をしておくことだと思う。
私は過去のたくさん傷ついた経験から
「言葉」「文字」に対してかなり敏感に生きている自覚がある。
そして、同じ単語でも
人によってその単語の意味が全く違うので
色んな人と話すと
どんどん自分の言葉の引き出しが増える。
その引き出しを活用できるかは
普段、引き出しに押し込めてきた色んな言葉を
どれだけたくさん引き出して活用してきたかにかかっている。
実際に使って、相手の反応を見て
自分が伝えたいことが伝わっているか確認する。
100%伝わることはないし
何度伝えても、聞き手は忘れているし(笑)
それでも、あの手、この手で伝え続けている。
言葉にしたことが、自分に返ってくる
私は、言葉は周波数だと気づいたのは
自分が発した言葉と同じようなことを
言う人が現れたり
同じ言葉を言いたくなるような出来事がやってくることが続いたから。
そして、自分が発する言葉を
自分を大切にする言葉に変えると
自分が大切にされるような出来事がたくさんやってくる。
私は、自分が幸せになることに何か違和感を感じていた。
それは、私が私に対して毎日毒針を入れていたから。
「どうせ私は変われない」
「私は愛されない」
「私は頑張らないと存在価値が無い」
「私は暇つぶしに使われるような人間」
「私は何をやっても失敗する」
「人から認められないと私はここにいてはいけない」
など。これを幼稚園の時から思っていたのです。
そうすると、自分に毒入れながら暗示をかけているものだから
この考えと真逆の人の言っていることが
全く理解できないのです。
「何もしなくても愛される」
「存在しているだけで価値がある」
「何をやっても愛される失敗もOK」
「望という人がいるだけで安心する」
これらを言われても、私にとっては宇宙語みたいなもので
「何言ってるのか分からない」
となるのです。
でも、自分が自分に言っている言葉で
毎日生きづらく、心が苦しい場合は
宇宙語を自分に取り入れることをお勧めします。
自分の言葉は自分で選べる
どんな人の宇宙語を自分の言葉に取り入れるかは
自分の心が分かると思います。
私の経験や
私の大切な生徒様のお話をすると
言葉に対して自分の心が暖かい気持ちになったとき
泣きそうになるぐらい胸が熱くなる
ことが多いように感じます。
何を言ってるか分からないはずなのに
心では、何かが伝わっているのです。
その時に気づくはずなのです
「ああ、私は、この言葉を求めていたんだ」
という風に。
そうしたら、後はその言葉を
まずは、自分が自分に言い続けよう。
「大丈夫」
「私がいてくれて良かった」
「感謝してるよ」
「幸せです」
「ありがとう」
など、わ〜、書いていて胸が痛いわ私も。
これを自分に言い続けたら
最初は理解できないんだけど
だんだん、その言葉を言いたくなるような出来事がやってくる。
その時に、自分の言葉で自然と
「大丈夫」
「私がいてくれて良かった」
「感謝してるよ」
「幸せです」
「ありがとう」
が出てくると思うし
あなたのそういった愛の言葉が
また、誰かの心に突き刺さり
その人の言葉の引き出しも増えて
人生も変わっていくのだと思います。
どうせ面倒くさい言葉を伝えないと伝わらないのならば
愛ある言葉を届け続けようじゃないか。
自分が発してモヤっとする言葉は
わざわざ目につくように書く必要も無いし
人に伝える必要な無い。
だって、自分の言葉は自分が一番聞いているから。
書く事で気づく、自分の想い
あんなに言葉に対して恐れていた過去の私は
なりたい自分を腸から叶える管理栄養士
として
言葉で生徒様に想いなどを伝え続けています。
私の発する言葉を生徒様が自分なりに受け取って行きます。
やっぱ、伝わらないこともあるから
あの手、この手で伝えることもあるし
生徒様が何言ってるか分からないときもあります。
でも、分かるまで聞く。
その言葉の意味を知りたくて、私は深く深く聞く。
そうすると、一見とげがあるように話していそうな人から
見えてくるのは、愛だったりする。
ますます、面倒くさいな言葉って、って思う。
でも、そこが楽しいって思えることが多い。
愛の伝え方も人によって全く違うことも知ってて欲しい。
そして私は、よく手紙を書くようになりました。
それは、私は口べたなことを自分で知っているから。
普段感謝の気持ちとか、大好きな気持ちがあるのに
それを言葉にする作業が人の何倍も時間がかかるから。
でも、誰よりも言葉について敏感だからこそ
大切に時間をかけてその人に伝えたいから。
私は、手紙が大好き。
手紙を書く前に、便せんを選ぶ時間も大好き。
手紙を書いている時に、相手を考える時間も大好き。
頭にある色んな想い出や感情を
わざわざ言葉という面倒くさいものに変換する時間が好き。
そんなことをやっていたら
たくさんの人から
その人らしい愛ある言葉や手紙をいただく機会が増えました。
その言葉を読んで、びっくり。
「え!?そんなこといつも思っててくれたの!?」
って。
はい、全然伝わってないんですね、私も(笑)
雰囲気も、行動ももちろん大切だけど
言葉や手紙の魔法ってすごいよ。
読み返しているとどんどん元気になるし
読んでいる時間、ずっと書いてくれた人を想う。
言葉もそうだね。
何気ない一言が、相手の人生を変えたりするからこそ
言葉って大切。
だから私は今日もめんどくせえなと思いつつ
楽しみながら、私なりの言葉で
縁あって出会った人達に、どう伝わるか分からないけど
古典的で面倒くさい「言葉」という方法で
愛を伝えよう。